お天道様が見ているよ!「食品の裏側」④添加物は誰のせい???

2021 3/01

皆さま、今日もお元氣ですか?
Yukoです。

安部司さんの「食品の裏側」って、衝撃的なタイトルですよね。
出版された当時、私はちょうど子供のアレルギーと向き合っている真っ最中で、なんだかおどろおどろしいものを感じ、「本当にそうだよね〜」と憤っていたものです笑。

でも今になって冷静に考えてみると、食品の裏側のラベルも大切に見ようね!というプラスのメッセージであるように感じています。
おどろおどろしい世界に戦いを挑んでも仕方ありませんし、自分のできることを淡々としていくのみだと思っているのです。

両方の意味合いが含まれているのだとは思いますが、著者もみながひとりひとり行動を起こすことを願ってつけたタイトルではないか?と勝手に想像しています笑。

今日からみんなで食品の裏側に載っている情報を大切にして、安心安全で美味しい生活をはじめていきませんか?

目次

裏ラベルを読み解いていこう!

添加物のはたらきと目的には以下のようなものがあるそうです。

(1)安い(単価が下がる)
(2)簡単(調理のめんどくささがあらかじめ解決されている)
(3)便利(保存性と、いますぐ欲しいという要求を同時に満たす)
(4)美しい(見た目をきれいにする)
(5)オイシイ(濃厚な味を作る)(「なにを食べたらいいの?」安部司著より引用)

きっと1〜5番まで、みんなわかっていると思うのです。
添加物がなぜ使われているのかなんて、そう、みんなわかっているのです。

わかっていて、意識は高いのに行動しない・・・、だからなにも変わらないのですと著者である安部司さんは訴えます。

どうしてこんなにも値段の違うものが存在するのか?
どうしてこんなに日持ちのするものが存在するのか?
どうしてこんなに美しく揃ったものばかりが存在するのか?
どうして冷蔵保存しなくて大丈夫なのか?

そして、どうして裏ラベルさえ見ようとしないのでしょうか?

もう一度考えてみませんか?
行動に移していきませんか?

買わないという選択肢

「自分で作るのは面倒くさい。でも今すぐ欲しい。安く欲しい。少しでもきれいなものが欲しい。賞味期限は長いほうがいい。保冷箱は持ち歩きたくない。みなさんがそう言うから、さまざまな添加物を法律をきっちり守った上で入れてあげたんですよ。逆恨みしないで、感謝してくださいよ。情報公開だって、こうやってちゃんとしているんですから。」(「なにを食べたらいいの?」安部司著より引用)

これは、「そんなのひどすぎます。子どもが食べるものに、こんなよくわからないものをぐちゃぐちゃたくさん入れて。自分でつくったものを食べないと言うんですね。あなたには企業人としての、日本人としての、いや、人間としてのモラルがあるんですか!」と目を吊り上げるお父さんとお母さんへの、架空のアベ食品のアベ社長の言葉です。

私が子どものころ(50年ほど前)は、確かに食べ物はすぐに腐って当たり前の時代でした。
お豆腐屋さんにボウルを持って買い物に行き、その日に食べるものを買い、ゴミも少なかったと思います。

そこから少しずつ少しずつ世界は変わり、人も意識も変わっていきました。
知らない間に世の中はすすみ、氣づいてみればこの現実です。
なにがあったのでしょうか?、どうなってしまったのでしょうか・・・。
どこから間違っていたのでしょうか?、どこから修正していけばよいのでしょうか・・・。

便利さだけを享受しようとするのはわがままです。
もっともっとと要求することを止め、便利さよりも心の余裕と豊かさを求めることに方向転換してみたらどうなるでしょうか。
方向転換はできるのでしょうか・・・。

すべての現実は、「人のせい」ではないと思っています。
すべての現実は、「自分のせい」なのかもしれません。
自分が変わりさえすれば、自分の現実は変わります。

方向転換でもとに戻るのではありません。
私は行き先を変えてみようと思っています。

道が大きく分かれていこうとしている今現在。
どの流れにのり、どこへ進んでいくのかは自分次第というところでしょうか。

後で、しまった!あっちの道だった!!とならないように、まだ選べるうちに自分の生きたい道を選ぶ必要があります。
あそこに生きたい道(川)が見えているのにもう流れが速すぎて、違った道をすすんで行かざるをえない状況になる前に、しっかり道を見据えていかなければと思っています。
人のせいにしてもなにも始まりません。
すべては自分の選択です。
自分自身の思いの通りの現実が現れているだけなのだと思っています。

私は日々そう戒めながら生きていきたいなと思い、こうして日々(ときどき?笑)考えながら生きています。

うだうだ言うのはやめにして、行動してみよう!

「いや、残存農薬と添加物が怖いです」
「いや、だって高いし、自分で調理するのは面倒ですから」
日本の消費者は、わがままばかりを30年間言い続けてきました。その間にどんな暮らしになりましたか。地球の裏側から運んできて、安い東南アジアで加工させる。電気がこうこうと売り場を照らし、24時間いつでも買える。
素材の味を大事にしましょうなんて言われていますが、本当にみんながそう思うのなら、添加物だらけの加工食品は世の中に存在しないはずです。(「なにを食べたらいいの?」安部司著より引用)

自然な味のものを美味しいと思って食べることができますか?
「高くて、面倒で、見た目が悪くて、味がない」と烙印を押してしまっているのは私たち消費者です。

美味しいと思えない人が多いから、心ある生産者が大変な思いをしているのです。

お弁当がどうして500円で売っているのか、考えたことがありますか?
自分で材料をそろえ、手間ひまかけて安心安全なお弁当を作ったとして、500円ポッチの値段で売ろうと思うでしょうか?
そこをしっかり考えてみる必要があるのではないでしょうか?

添加物が使われているのを知っていて選ぶ人は、決して被害者ではない。不自然さを知りつつ買う人は被害者などではありません。買い支えてきた人が今さら文句を言うのはおかしい。
日本人は多くを求めすぎています。自分に甘く、人には厳しい。(「なにを食べたらいいの?」安部司著より引用)

作る人も売る人も食べる人も、すべての人がメリットを享受し、納得することによって世の中は成り立っています。
なので、添加物は誰のせいでもありません。
みなの思惑が一致したからこそ、これだけ使われているのです。
誰かの思惑が変わってくれば、添加物も変わってきます。
そうとわかれば、嘆くこともイライラすることも誰かのせいにすることも必要ないとわかります。

まずは自分が変われば良い。
自分が選択していけば良いだけです。
すべては「自分」次第です。
あの会社が、あの人が、あの商品が、と文句を言っている場合ではありません。
すべては自分なのですから・・・。

世界一食材を捨てる国、日本

飽くなき食への欲求、便利さへの欲求、美しさへの欲求が今の日本を作り上げています。
ふたが汚れただけ、パッケージが歪んだだけでも捨てられてしまう現実があります。

かつて食材を捨てるのは、一次産業の現場がほとんどでした。食品の生産場所で、食べられない部分が捨てられただけです。ー略ー
コンビニだけでなく、スーパーでも、ファミレスでも、レストランでも、結婚式場でも、そして家庭でも、あらゆるところで無造作に食品は捨てられています。日本は今や、世界有数の食材廃棄国です。世界一といえるくらいです。(「なにを食べたらいいの?」安部司著より引用)

食べ物を捨てたらバチが当たる、お天道様がみているよ、と言っていた日本は今や死に絶えてしまっています。

顔見知りで、日頃会話のある客が来店すれば、きちんとしたものを出すはずです。魚屋のおじさんに、「毎度買ってくれてありがとう」という想いがあれば、産地の偽装なんてしない。商売は人と人のつながりで成り立っていたのです。お客さんとの対話の中に診の回しの話が入ってきたら、だますなんて発想は浮かんでこないはずです。ー略ー
人と人のつながりがなくなったからリスクは増加したのだと思います。
消費者の方からその関係を断ち切ったのです。スーパーの棚から無言で好きなものを取り出したい。店の人に話しかけられたり、干渉されたりはしたくない。
人と人のつながりがないところで、安全が確保されるわけがありません。知っている人への思いやりや責任こそが、その基本なのですから。(「なにを食べたらいいの?」安部司著より引用)

できることからはじめていきたいと思っています。

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