「食品添加物はなぜ嫌われるのか」その①食品の安全性を確保しよう!

2021 1/11

皆さま、今日もお元気ですか?
Yukoです。

今日から3回連続で「食品添加物はなぜ嫌われるのか」(畝山智香子著)を読んでの感想です。
添加物とはどう付き合っていけば良いのでしょうか?

もちろん答えはひとつではありません。
ですから、このシリーズが添加物に目を向け、考えるきっかけになるとうれしいです。

まず今日は、食品とは?というところから考えてみたいと思っています。

食品の安全とは?

食品添加物を使わなければ、食品は安全で安心なのでしょうか?
戦前は食品添加物がなかったので、食は安全で安心だったのでしょうか?

そう問われると、食品の安全って何なんだろう?とふと不安になってきます。
食品偽装は問題外として、添加物が入っていれば安心できず、添加物が入っていなければ安全、というわけでもないことが見えてきます。

確かに昔は冷蔵庫も保存料もなく、暑い夏などには朝作ったものが夕方には腐ってしまっていたり、食中毒の危険性は大きかったと想像できます。
でも今は添加物のおかげで、真夏であっても、いつでもどこでも安全な食べ物が手に入ります。

食品添加物は食品の安全に寄与しているのか、はたまた安全を脅かすものなのでしょうか?

食品添加物は安全性を確認しないと使用が認められないので、安全性についてのデータのない一般的な食品より安全ですーここまでそういう趣旨のお話をしてきました。しかしこれを「食品添加物だから安全です」と解釈してはいけません。食品添加物として認められている物質だから安全なのではなく、食品添加物として認められている物質を食品添加物として認められている使用条件で使うから安全なのです。食品だから安全なのではなく、食品として全体的に健康的な食生活の一部として適切に食べれば安全ということと同じです。(以下引用部分はすべて「食品添加物はなぜ嫌われるのか」畝山智香子著よりの引用です)

確かに、食品だから安全と言うことはできません。

学校の授業の一環で、収穫したじゃがいもを調理して食べて中毒症状を起こした、という事件を覚えています。
芽をとっていなかったのか、太陽にあたって緑に変色したじゃがいもを氣にせず使ってしまったのか、未成熟のじゃがいもだったのか・・・、そういったじゃがいもを子どもたちは喜んでたくさん食べてしまったのだと思います。
確かに食品にも害のあるものはたくさんあり、食べ方を知らずに食べてしまう危険性はなきにしもあらずです。

赤ちゃんにははちみつを食べさせてはいけない
青梅はそのまま食べてはいけない、などなど・・・。
詳しくは後ほど書きますが、ライチを食べた子どもの死亡事故も起きているそうです。

知らない!ということが、安全性を脅かします。
ですから、遠い外国の見ず知らずの食品は要注意なのだと思っています。
しかし、今は世界中からお金に物をいわせて集めた珍しい食べ物にあふれています。

身体に良いからといって、現地の人もびっくりなほどたくさんむさぼったり、現地の人とは違った食べ方をすることによって引き起こされる危険性も無きにしもあらずであること、忘れてはいけないのだと思っています。

添加物の前に、食品の安全性を確保する必要があるのです。

食品は何が含まれているのかわかっていない「未知の化学物質のかたまり」

食品はもともと何が含まれているのかわかっていない、「未知の化学物質のかたまり」です。食品添加物とは、そのような食品の中でも例外的に成分も、どう使えばいいのかもよくわかっている、安全な使い方を確認された「優等生」と言えます。食品の成分のすべてが、食品添加物として認められるための条件を満たすことはできないのです。安全性に関する基準をクリアして食品添加物になれないもの、なろうともしないものが食品として販売されているのが実情であるということを知ると、なぜ多くの人たちが食品添加物を悪者扱いし、食品添加物さえなければ食品は安全であるかのように言い、無添加が宣伝文句として通用するのでしょうか?

「ぶどう(茎・新芽・若つる)エキス」ですが、これは果たして食品でしょうか?ぶどうは果実なら食品です。種は間違って食べることはあると思いますが普通は食べません。蔓や茎はそれ以上に食べないのではないでしょうか? これが「美容によい」かどうかはともかく、食品としての安全性が確認されているものだとはとうてい考えられません。食品添加物なら事前に安全性を証明して承認されないと使えないのに、食品であると強弁すればどんなものでも使われて販売されてしまう、というのが現状なのです。

上の引用部分は、美容目的で「ぶどう(茎・新芽・若つる)エキス」が配合されていると思われる製品に関する説明箇所です。

世界中で常に目新しい商品を開発し続ける人たちは、既存のものであっても想定されていない使い方をすることがあります。その際に「食品だから安全」「食品添加物だから安全」といったハザード情報をもとに判断をすると、安全性を脅かす可能性もあります。リスクを知るには、そのものの固有の性質(ハザード情報)だけでは不十分で、使用する方法とその結果としての曝露量を考える必要があります。

天然のモノだから、オーガニックだから、スーパーフードだからと飛びついてしまう現状があります。
確かに植物や天然のモノであっても有害なものはたくさんあります。
使い方によっては益にもなり害にもなるものもたくさんあります。

馴染みのある食べものなら使い方も使う量もある程度わかっています。
しかし、食品に関して起こる事故の一部は、「身体に良い」との謳い文句で販売されていたり、テレビで特集された商品(食べもの)を食べすぎた場合に起こっています。

何も考えることなく飛びついて、ついつい大量に摂取してしまうことの怖さ。
身体に良いなら、とむさぼるように食べてしまう私たち人間の貪欲さと愚かさゆえの過ちです。

また、新しくでてきたモノには売り手の思惑があり、もともとは安全な食品であっても、従来とは違う食べ方で安全性の未確認な食品も出回っている、ということには十分氣を付けないといけないと思っています。

ライチによる死亡事故の話から・・・

ヒポグリシンAの話は、天然物の不思議さや私たちが知っていることなど自然界のほんの一部でしかないことを、つくづく思い知らされる事例だと思います。こういうものがまだまだたくさんあることでしょう。それを考えたら、自然の恵みなどと称してよくわかっていない、食品ですらない植物のエキスなどを、健康食品として使用することなど恐ろしくてできないと思います。自然をよく知らないからこそ自然は素晴らしいとか食品のことはよくわかっている、などと言えるのでしょう。

ヒポグリシンAは、代謝阻害作用がありグルコース生産を抑制する物質です。
これがライチに含まれていたため、ライチの収穫期に貧しい子どもたちがこれをお腹いっぱい食べたあと、夕食を食べずに寝ることによって起こった死亡事故です。
本来なら死亡するなんて考えられない食べ物を食べて、死んでしまうこともありうるのです。

ヒポグリシンAはライチ特有のものではなく、アキーという果物やランブータンや竜眼のようなムクロジ科の果物にも含まれています。
馬の季節性農場筋疾患は、風で飛ばされて落ちたプラタナスの木の種子(ヒポグリシンAを含む)を牧草と一緒に食べた馬が発症してしまう病氣です。

そうです。
食べものは自然界からの恵みでもあり、良くわかって食べないと怖いものでもあります。
「私たちが食べている何らかの物質の量が、安全とみなされる範囲にとどまることを確実にすること」が重要だと著者は書いておられます。

食べ物として最適なものとは?

プロバイオティクスはしっかりとしたデザインの研究で評価すれば、効果はあったとしてもこくわずかであろうというのが現状の知見の主流です。ヨーグルトなどの発酵食品はこれまでも日常的に食べてきたわけですから、それが食べる人の健康を劇的に左右するようでは困るので、それでいいのですが。人体に対して何らかの影響(効果)があるものは副作用もある、というのが常なので、食品としてはあまり派手な作用のない、つまり安全なものであるほうが望ましいのです。(「食品添加物はなぜ嫌われるのか」畝山智香子著より引用)

サプリメントや添加物と違って、食べ物とは多量に摂取するものですから、毒性が強くては問題が起こります。

日常的に食べるものに毒性があっては困りますし、健康にも穏やかに作用するものであることが望ましいのです。
ですから、スーパーフードと言われているものやサプリメントは大量に食べるものではありません。


海外旅行をした時に、ファーマーズマーケットで見たことのない果物や野菜を、現地の人にどうやって食べるのか聞きながら買って帰って食べてみることの楽しさって言ったらありませんよね。

でもそれをスーパーですると一種危険なこともあることを知っておかなければなりません。
その地域の特殊な食材には毒があり、独特な調理をしなければならないものが含まれている可能性があります。

食品添加物を使う意味・食品として大切なこと

食品添加物は食品をより安全によりおいしくするなどを目的とし、また、鉄やカルシウムなどの栄養素の場合には必須栄養素を不足することなく多くの人に摂ってもらうための、智慧の結晶という側面があります。鉄鍋由来の鉄では不純物としての有害重金属などの濃度は不明で、食品に含まれる量も一定ではありません。鍋は食べることを意図したものではないので安全基準の考え方も違います。それに比べたら食品添加物の鉄のほうがはるかに安全ですし、量も正確に管理できます。繰り返しになりますが、無機ヒ素は「実行可能な範囲でできるだけ摂取量を少なくすべき」ものです。
ここまで理解したら、赤ちゃんに必要な栄養を供給できる安全なベビーフードをつくるには鉄強化を利用すればいい、という結論になるはずです。

これは、無機ヒ素を含むひじきを赤ちゃんの鉄分補給のためのベビーフードとして売ることが妥当なのか?という話です。
著者は、無機ヒ素を含むひじきを有害ミネラルが混入しているかもしれない鉄鍋で炊いたベビーフードを赤ちゃんに食べさせるよりも、鉄分を添加したベビーフードを食べさせるほうが良い、と考えています。

しかし、「鉄」という食品添加物を含むベビーフードは、無添加ではないという理由で売れず、日本の赤ちゃんはヒ素の多い無添加で自然っぽいイメージのひじきのベビーフードを食べ続けることになってしまっているのです、と嘆いています。

日本では複雑な加工を施したコンニャクや痛みやすい豆腐がいつでも使えて日持ちするような形で販売されるようになり、パック入りのご飯や餅、ペットボトル入りのお茶のおかげで、日本風の食生活が手軽にできていると思います。

栄養不足になってしまう可能性の高い一人暮らしの高齢者が今後さらに増えることが予想されているので、飲み込みやすくて柔らかいなど、食べやすくて準備に手間のかからない食品のほうが大事でしょう。

食品として大切なことは、さまざまな状況下において、さまざまな人が安全に食事を摂ることができること。
著者の求めるのは、災害時であっても赤ちゃんでもお年寄りでも、簡単に確実に食事を摂り、栄養を補給することができること、なのです。

自分の立ち位置を考えてみてください

添加物=危険でもなければ、食品=安全でもなく、かといって、添加物=安全でもなければ、食品=危険でもありません。

すべての人がいろいろな状況下において、安全に食べものを食べることができるように、という立ち位置の著者は、これは食品である!と主張すれば何でも販売可能になり、これは添加物である!と分類されれば消費者から危険視されることへ憤りを感じていらっしゃるのでしょう。

食品というくくりであれば安全で、添加物というくくりであれば危険、と感じてしまう私たち。
それは、調味料(アミノ酸等)というモノと、タンパク加水分解物というモノに如実に現れていると思っています。

詳しい製法を知っているわけではありませんが、私は2つとも同じようなものだと認識しています。
しかし、調味料(アミノ酸等)は添加物であり、タンパク加水分解物は食品扱いです。
ですから、無添加とうたわれている加工品にも、当たり前のようにタンパク加水分解物が含まれています。

そこから思うのは、賢くならなければならない、ということ。
食品であるからと安全と短絡的に考えてしまうこと、添加物でも天然であるから安全と短絡的に考えてしまうこと。
それらにも危険が潜んでいると同時に、添加物=危険と短絡的に考えてしまうことにも危険が潜んでいる、と認識する必要があるとも思っています。
時と場合によりけりなのです。


ですから、添加物は良いとも悪いとも言えず、自分がどの視点に立ってその時の状況に合わせて、何を選んでいくかが問題なだけです。
添加物から恩恵を受けている自分を認識することが大切であると同時に、この食品は本当に健康にプラスになるのか?という視点を持つことも大切だと思っています。

立ち位置が違えば180度違う答えが出てくることもあります。
ですから、賢い消費者になる必要があるのです。

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