皆さま、今日もお元気ですか?
Yukoです。
オーガニックで食べものを作ることって思っている以上に大変なことなんだろうな、と感じています。
でも、私はオーガニックを求めていきたいとも思っています。
オーガニックを求めることによって、わたし自身も地球環境も自然な状態へと近づけると思っているからです。
しかし、今の最先端の現場は少し方向性が違ってきているのかなぁ、と感じています。
先日に引き続き「食品添加物はなぜ嫌われるのか」(畝山智香子著)より、今日はそのオーガニックに関して考えてみたいと思います。
第3章『オーガニックの罠』より
見た目を氣にする私たち、流通にある程度の時間がかかってしまう現実、その中でのオーガニック。
それだけを考えてもオーガニックの難しさを感じてしまいます。
収穫してすぐに食べることができる家庭菜園。
自分が育て収穫してきたものなら、少々虫が食べていようが氣にしません。
しかし買ってきた野菜や果物に虫がついていたら・・・?
あなたはどう反応されますか?
そして、オーガニックな食品、それは本当に安全で身体に良いものなのでしょうか?
そして、オーガニックな状態が本当に自然な状態なのでしょうか?
第3章『オーガニックの罠』、この章は主に卵に関する話です。
ここはプラントベースのサイトですから卵は関係ないと言えば関係ありません。
ただ、食の安全と私たちの思惑と現場とのズレなど、考えなければいけない問題を多々含んでいると思いましたのでご紹介させていただきたいと思います。
フィプロニル事件
2017年にヨーロッパでフィプロニル事件が起こります。
これは卵からフィプロニルという殺虫剤が検出され、ヨーロッパ中で大規模な回収が行われたという事件です。
この余波はヨーロッパ以外にも広がり、フィプロニル以外の禁止薬物の使用も見つかっています。
この中にオーガニックの卵が多く含まれており、オーガニックの難しさや疑問点や問題点が浮き彫りにされた事件でもあったようです。
何が自然にも動物たちにも私たちにも優しくて、何がオーガニックなのだろうか?
私たちは単なるエゴをオーガニック農家や動物たちに押し付けているだけではないのか?
と、問い直さずにはいられない問題が含まれています。
オーガニックの場合、一定時間は鶏を外に出さなければならず、外にいるダニのような害虫と接触する可能性が高まります。
その上、オーガニックでは薬を使うことができません。
そのオーガニック農家の弱みに付け込むように販売されていたのが、「植物由来製品」であると謳われているにもかかわらず、本当は「フィプロニルという禁止薬剤」を含む薬だったのです。
オーガニック認証を受けるためには、鶏を飼う環境(鶏舎を含む敷地内)にも殺虫剤や除草剤のような化合物を使うことはできず、餌は有機農産物を化学処理や放射線処理なしで与えることになっています。
そして鶏がある程度自由に歩き回ることのできるスペースが必要になります。
なんとなく良いことのように聞こえますが、ここに落とし穴があったのです。
今後も上記のような危険性、可能性が排除されていないこと、以外にも落とし穴があります。
欧州では「オーガニック卵」の安全性がしばしば問題になるそうです。
ダイオキシンやダイオキシン様ポリ塩化ビフェニルの濃度が高いという報告があるのです。
オーガニック卵からこれらが検出されるのには2つの理由があります。
1.鶏を外に出すために、汚染のある土や小石を食べてしまうため
2.オーガニックだと餌に制約があり、飼料中に含まれる汚染物質を科学的処理によって除去することができないため
有害ミネラルやダイオキシンは濃度の差はあるものの、地球上のどこにでも存在するのだそうです。
鶏はわざと小石や砂を食べますから、どうしても一緒に有害ミネラルやダイオキシンも摂取し、体内で濃縮されていくのです。
また、普通の養鶏では穀物を主体とした餌に不足するアミノ酸を添加した最適の組成の餌を食べていますが、オーガニックでは添加物は使えません。
そのためフィッシュミールを使ったりするそうなのですが、その魚に蓄積されているダイオキシンやメチル水銀が鶏の中でますます濃縮されていくわけです。
普通の養鶏では化学処理で取り除くことができる有害物質も、オーガニックではその化学処理をすることもできないのです。
また著者は動物の福祉という観点でも疑問点を投げかけています。
卵は食べないから、とおっしゃるかもしれません。
でも同じような構図はどこにでもあると思っています。
良い循環を生み出すのがオーガニックの目的であったはずなのに、どこでどう間違ってしまったのでしょうか。
そして、そのはざまで苦しむのが動物や植物たちなのかもしれません。
オーガニックとは?
ほんとうの意味でのオーガニックとは、有機的な関係から生まれてくると思っています。
無機的な工場からは生まれてこないと思っています。
オーガニックであることを望むのなら、生産者と繋がり生産現場を少しでも知ることの大切さを感じます。
そして、食べられることへの感謝の氣持ちを持つことができれば、お互いにとっての良い関係性と循環が築けると思っています。
この冬も、鳥インフルエンザでたくさんの鶏たちが殺処分されました。
何かが変、どこかがおかしい、でもどうすればいいのかもわからない、という無力感を感じていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。
じゃあ、肉を食べるのをやめて、植物性のお肉やクローン肉へとシフトしていきましょう!という流れにも私は違和感を感じてしまいます。
限りなくお肉に近い加工されすぎた代替肉を食べるのなら、本物のお肉を時々ありがたくいただくほうが良いと思っています。
貪りの氣持ちを手放せたとき、私たちは本当に自由になれるのではないでしょうか。
肉を食べたいという欲求はそのままで、原材料だけ植物性やクローンに移行するだけでは何も変わりません。
変わらないどころか、ますます自然からは遠ざかってしまいます。
いったい私たちはどこへいこうとしているのでしょうか。
よく目を凝らして見ていないと、氣がつけば、誰も知った人がいない、名前も知らない町に流れ着いてしまうかもしれません。
そこがパラダイスであることを信じて流れに身を任せるのか、自分で行きたい方向へと舵をとっていくのか、それは個人個人の考え方次第です。
もし少しでも今の現状におかしさを感じているなら、目を凝らして見ていこうではありませんか。
本当に自分が食べたいと思うオーガニック食材はどのようなものか、を考え生産者とつながり支え合うことによって、新たな未来を築いていけると思っています。
オーガニックの言葉がひとり歩きし始めている今、私たちの見つめる目が大切になってきていると思っています。
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