「食品添加物はなぜ嫌われるのか」その③賢い消費者とは?

2021 1/15

皆さま、今日もお元氣ですか?
Yukoです。

今日も引き続き「食品添加物はなぜ嫌われるのか」(畝山智香子著)より、考えてみたいと思っています。
ただし、特に今日は単なる私見であることをお断りさせていただきます。

食品添加物「塩」を考える

日本人の健康にとってもっとも害が大きい「食品添加物(WHOの定義による)」は食塩です。
食塩は相当古い時代から食品の保存に広範に使われていたため、冷蔵庫が普及する前までは塩蔵した魚や野菜からの塩の摂取量が非常に多く、高血圧による脳卒中での死亡率が高い原因でもありました。日本では昭和の時代に冷蔵・冷凍技術と、食塩以外の保存料の使用により大幅に改善されましたが、まだ改善の余地はあります。保存目的以外に、パンやうどんのコシを出すために食塩が使われますが、代替できる添加物の研究も行われています。最終的に残るのは味付け目的での使用になるかもしれませんが、それを減らすには新しいものを拒否しない柔軟さと慣れが必要です。
日本の法律で定義されている「食品添加物」を嫌って、食塩を多く使った昔風の梅干しなどがよいといった言説は、私たちの健康にとって有害無益です。伝統を守るためなら国民の健康は多少犠牲になってもよいなどという政策は許容できません。私たちや子どもたちのこれからの生き方がやがて伝統になるのだから、より健康的でより持続可能になるよう改善していくべきだと思います。
世界の減塩対策から見習うべきことはたくさんあると思います。(以下引用部分はすべて「食品添加物はなぜ嫌われるのか」(畝山智香子著)よりの引用です)

梅干しの塩を抜くことの是非はさておき、梅干しの塩を抜くという余計な一手間をかけたために使われる添加物の問題もさることながら、塩を抜く時に梅干しの有益な微量成分も抜けてしまう〜!!、と叫びたくなるのは私だけではないはずです笑。

でも、最初から減塩で梅干しを漬ける、というやり方もあるようで、その塩分濃度でカビ対策できるなんて凄いな〜、と感心してしまいます。
ただ、前回のオーガニックの問題と同じで、無理して減塩にしたためにどこかにひずみが生まれてこないのだろうか?、という不安がないわけではありません。

また、著者いわく、塩を減らすために、新しいものを拒否しない柔軟さと慣れが必要です、とのこと。

良いものはどんどん取り入れていけば良いと思います。
しかし塩は身体にとって必ず摂取しなければならないものでもあります。
塩のとりすぎが有害なだけであって、適量の塩は必須です。

ということは、味付けのために新たに作りだされた添加物を塩の代わりに使うことを考えるよりも、塩が大量に含まれるインスタント食品を筆頭とする加工食品を食べる量を減らすほうが、よほど健康的なのにな〜っと感じてしまうのですが・・・。

食品の安全性と消費者の役割

食品安全においては消費者の役割が非常に大きくなることが特徴的です。
最初のテーマの「みんなの仕事」※という言葉に象徴されるように、生産者から消費者一人一人までが責任を持って役割を果たさないと食品安全は確保できません
食料を、量としては十分手にしているはずの豊かな国の消費者でも、食中毒や食品の不適切な摂取ー食べ過ぎや偏食ーが原因になる健康状態の悪さは珍しいことではありません。食品安全確保には貧困対策とは異なる困難さがあるのです。すべての人が果たすべき役割を全うするためには、すべての人に適切な情報が届いている必要がありますが、それは日本を含めどこの国でもまだ道半ばといったところです。

※2019年「世界食品安全デー」のテーマ「食品安全はみんなの仕事」

食品の安全性を確保することを考えた時、何も考えたくない、何も知らないしわかっていないから、とりあえず安全な加工品を選びます、という選択もひとつの道です。
それはある意味簡単で、誰でもがある意味安全な食品を食べることができるひとつの選択肢です。

しかし、食品の不適切な摂取はそうそう起こり得ることではありません。
常識の範囲で常識の調理法で常識の食べ方で食べていれば、問題は起こらないのです。

食べて直ちに害が発生することはありません、という安全な食品(添加物がたくさん含まれた加工食品。実は砂糖が大量に使われている加工食品もこちらに含まれる)。
食べ方を知らずに食べると、直ちに害が発生する可能性のある食品(塩や水も含まれる)。

どちらを選びますか?
きちんと食べ方を知りたいと思うか、簡単便利に済ませるか、という選択です。

ただし、食べて直ちに害が発生することはなくても、長期的に見た場合の悪影響はまだわかっていないのが現状であることをわかった上で、食べる必要があるのではないでしょうか?

確かに、さまざまな状況下ですべての人に安全な食を行き渡らせようと考えたとき、加工され一律に栄養素を含み、それを食べてさえいれば簡単に安全に命をつないでいくことができること、それが必要な時と場合もあると思います。
その立場で考えた場合、添加物は必要なものだと思います。

ただし私たち家庭の主婦の立ち位置は違うと思っています。
有り難いことに私たちは飢えの心配のない日本という国に住んでいます。
そして私たちが食べものを供給しなければいけないのは家族に対してです。
その状況で何を選ぶか、ということなのです。

添加物を避けたければ、自分で安全性を確保して食べものを食べなければいけません。
それはひょっとしたら便利だった生活を少し不便にする生活かもしれません。
それを不便と感じるか、楽しみと感じるかも人それぞれです。

添加物は良いとも悪いとも一概には言えず、ただやはり私は、小さい子どもには、添加物なしのできるだけ自然に近い食品を、丁寧に愛情込めて調理した食べものを食べさせてあげてほしい、と願ってしまいます。

ただしこれは何度もいいますが、私がそう思うだけです。
忙しすぎて時間も心の余裕もないんです、ということもよくわかりので、何事もバランスをとることが大切だと思っています。

食品の安全に関して何が心配か?

世界食品安全デーに合わせて、欧州では意識調査が発表されています。
食品の安全に関して何が心配か?という問いに対して、

家畜への抗生物質・ホルモン・ステロイドの乱用
食品中の残留農薬
食品添加物

が最も多く挙げられた項目で、マイクロプラスチックも新たに項目として上がってきたそうです。

2017年のオランダの報告書でも
「食の安全に関しては、消費者の認識は科学的知見とは一致しない。消費者は多くの添加物を疑い、天然物は合成化学物より安全だとみなし、化学物質汚染によるリスクが微生物汚染より大きいと考える。」
と記されているそうです。

著者は、この一般大衆の意識に憤りを感じているようです。

「(化学調味料)無添加」を大きく表示して「酵母エキス」「タンパク加水分解物」のような化学調味料と同じ成分を含み、それ以外の不純物を多く含むものを使っている製品が販売されています。
その一方で毎年のように山菜と毒草を間違えたり毒キノコを食べてしまうという事故が起こり、死亡も報告されています。病原性大腸菌などの検出数や食中毒患者数もここしばらく改善の徴候がありません。日本の食品の安全性はもっと向上させることができるのに、やるべきことをやっていないのです。
世界共通で、一般の人たちに食品安全の基本的な考え方が理解されていない、このコトが食品の安全性向上の阻害要因になっているのです。

本当にそうだと思います。
良かれと思って多量摂取してみたり、美味しいからといって毒のあるものをきちんとした知識なしに食べてしまったり。

お恥ずかしい話ですが、以前、冷蔵庫にブロッコリースプラウトが1パック半ほど残っていて、もったいないからそのスプラウトのみをサラダにして食べたことがあります。
サラダとは言えないかもしれませんが笑、とにかくその2時間後くらいでしょうか?、気分が悪くなって吐いてしまったのです。
その経験から私が学習したことは、ブロッコリースプラウトはそんなにたくさん食べるものではない、ということです笑。


しかし、そのブロッコリースプラウトだけが悪いのではありません。
また、毒キノコや大腸菌だけが悪いのでもありません。

カフェインは控えめにしなきゃだめだけど、ハーブティーは身体に良いからと飲みすぎていませんか?
ハーブティーも身体への作用の強いものがあり、飲みすぎては危険なものもあります。

アロマが効くからといって、朝から晩までアロマを嗅ぎ続けることが果たして良いことなのでしょうか?

すべてのモノに、すべてのコトに「適量」というものがあります。
それを超えてむさぼるように摂ってしまうという貪欲さ、それが良いと信じ込んでしまう恐ろしさに気づくべきなのではないでしょうか。

すべてのモノに表と裏があるように、すべてのコトにも善と悪が内包されています。
そして、ブロッコリースプラウト事件のように、起こることすべてに必然性があると思っています。

添加物が悪いのではありません。
状況次第で必要な添加物もあれば、なくても良い添加物もたくさんあります。
そこから先は個人個人の選択にかかっています。

添加物は必要があって使われています。
添加物の使われている食品を食べるのかどうか、加工食品をありがたがって食べるのかどうか、は私たち一人ひとりの選択次第です。

日本の動物由来食品はEUに輸出できない!

EUへの輸出向け動物由来食品に関する2017年の日本の査察後の報告書には、『輸出承認に必要な保証を提供できる段階にない』と記載されています。

日本は安全性が確保できないから輸出できないとEUから判断されているということを、日本の一般的消費者は知らないのではないか。そしてEUに輸出できている中国やほかの途上国が日本より劣っているかのような報道に満足していないだろうか。

「昔ながらのやり方」は必ずしもよいことではない。常に進歩しなければ世界においていかれるということを肝に銘じ、国全体で制度の更新や新しい技術の導入を継続的に行っっていかなければ、小規模業者が国際流通できる水準に到達し維持するのは難しいのである。

グローバルに食べ物を流通させる、ということを考えると、今までの方法では無理があるということなのでしょう。
グローバル化が良いことなのかどうなのかは私にはわかりませんが、食がグローバル化され、珍しい食材を日本にいながらにして手に入れ食べることのできるありがたさを享受し、それを楽しんでいることは確かです。

食をグローバルに流通させることと食の安全性を確保することは、切っても切れない仲です。

安全基準はより厳しくなっています。
それに対応することはとても大変です。

でも、安全基準が厳しくなることが良いことで、それに対応していかなければならない、と考えることが果たして本当に正しいことかと問われると、どうなのだろう?と私は首を傾げたくなってしまいます。

それが、殺菌や添加物と切っても切れない関係にあるからです。
そして、それが、大きな設備を整えた大規模な施設を必要とするようなことに繋がりがちだからです。

未来の食卓

有害物質が含まれないように、きちんと食品を管理しましょう!
栄養不足を防ぐために、ビタミン・ミネラルを食品に添加しましょう!
土壌には有害金属が含まれるため、鶏も野菜も管理した工場生産にしましょう!

そうすることによって、栄養価も満点で有害物質の含まれない、ピュアで安全安心な食べものを食べることができるようになるのです。
そういった未来に向かっていっているとこの本を読んで感じたのは私だけでしょうか・・・。

それが良いことなのかどうかの判断は、個人個人に委ねられています。

本当に身体に良いものとは?
オーガニックとは?

私たちは何をどう選んでいけばよいのでしょうか?見極める目と判断基準を養っていくほかありません。



必要な栄養素を添加し、有害物質を取り除いた工場生産された画一的な食品。
お肉じゃないのに本物のお肉みたいで、味も食感も最高!
このように、美味しい上に安全安心でこれさえ食べていれば大丈夫!健康的に毎日を過ごせます!、といった食品が毎日手を変え品を変えやってくる。
でも、結局は添加物で味付けされ、栄養素が補強された、おんなじモノ・・・。

その世界を良しとするか嫌だと思うかは個人個人の感性と選択によります。
でも、否が応でも画一的な世界に向かっているのが現実なのでしょう。
しかし、その中でも何を選ぶかによって、道の行き着く先は大きく変わってくると思っています。

安全な食とは、ありきたりの材料を使って、ありきたりの調理法で、ありきたりの味付けをした、各家庭の食事だと思っています。
添加物が安全か危険かの前に、人間らしい生活とは何か?と考えた時に、答えは見えてくるのかもしれません。
大げさに考える必要も、大げさに構える必要もありません。

普通に暮らせることって良いですよね。
普通に食べ、普通に働き、普通に笑顔で過ごせたら、そんなに幸せな人生はないと思っています。

しかし、「普通」と感じる私の感覚が世間かと大きくずれてしまっていることも、現実として受け入れないといけないのかもしれません。
でも、「普通」であってほしい状況がどういうものかということを、各個人がもう一度問い直してみる必要がある、問い直してみて欲しいな〜、と思っています。

幸せな毎日を送るために・・・。

自然とは?、生きるとは?なんなのでしょうか???

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